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■松陰の墓■  松陰神社・東光寺周辺マップ

 松陰誕生地のとなりには、たくさんの墓がたちならんでいます。 ここには、松陰の実家の杉家や松陰があとをついだ吉田家の墓、 それに松陰の一族の人たちの墓や門下生の高杉晋作の墓などがあります。

 松陰の墓は、この墓所の向かって左すみにあります。 墓の表には、「松陰二十一回猛士墓」ときざまれています。

 松陰が海外渡航に失敗して、萩の野山獄につながれたころの話です。 ある日、松陰は夢にあらわれた神のおつげにより、 自分のことを二十一回猛士 (にじゅういっかいもうし)と呼ぷようになりました。
 「吉」の字をばらばらにすると「十一」「口」になります。 「田」の字をばらばらにすると「口」「十」になります。 これらを組み立て直すと、「十一」と「十」をあわせて「二十一」、 「口」と「口」をあわせて「回」になります。
 また、「杉」の字をばらばらにして「十」「八」「彡(三」の三つの数字に見立てます。 あわせると、これも「二十一」になります。
 猛士とは、自分の信ずるところをつらぬく人という意味です。 松陰はこれまでに藩の許しをうけずに東北地方を旅行し、 「将及私言(しょうきゅうしげん)」という 意見書を書いて殿様に提出したり、 また国の(おきて)を 破って外国へ渡ろうとしたことなど、三回大きな計画にぷつかって失敗しましたが、 二十一回猛子であるからには、まだあと十八回はふるいたってやるつもりであると、 さかんな意気をあらわしました。
 松陰は1859年(安政六年十月二十七日)、二十九才三か月の若さで、 江戸伝馬町の獄にて刑場の露と消えますが、ここ誕生地にある墓には、松陰の髪の毛が埋めてあります。 墓の前には、門下生の前原一誠、久坂玄瑞、品川弥二郎、伊藤博文、高杉晋作など十七名が寄進して、 その名をきざんだ水盤や花立、灯籠が、そなえられています。

●参考・引用資料『親と子の史跡探訪』萩文化財保護協会

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