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吉田稔丸よしだとしまる誕生地■  松陰神社・東光寺周辺マップ

 松陰神社を出て左に曲がり、そのまま神社の壁沿いを歩いて行くと、道はやや上り坂な、 くねくねとした道になります。 江戸時代には、この道を松本新道と呼んでいました。 この松本新道を少し歩くと、一般住宅の前に、石碑があります。

 石碑には、吉田稔丸誕生地と書いてありますが、古い書き方では吉田稔麿と書きます。
 吉田稔麿よしだとしまるは、 1841年(天保十二年)に生まれました。吉田松陰とは親戚関係ではありません。 幼い頃から、近くの寺に遊びに行くと、お経を覚えるくらいの神童だったそうです。 しかし、父親は、「又書物を見るか、学問すると役目の妨げになる、止めろ」と 書物を取り上げていたそうです。
 父親は、足軽の身分でした。江戸時代の身分制度では、 いくら神童でも、さむらいの家に 養子に行かない限り、藩校明倫館で学ぶことはできません。
 学問が好きだった稔麿は松下村塾に入り、松陰に学びます。 吉田松陰は、もともと、身分の違いに疑問を感じていた人でした。 ですから、学びたい人は誰でも松下村塾に入れます。
 稔麿の優秀さは、松下村塾門下生の中でも群を抜き、 高杉晋作たかすぎしんさく久坂玄瑞くさかげんずい と、松下村塾の 三秀さんしゅう と言われていました。
 萩藩では、幕末になると、足軽や中間の身分でも 優秀な者はさむらいに 昇進することができました。ただし一代限りです。
 稔麿も萩藩の さむらいとなりましたが、 1864年(文久四年六月五日)、京都の池田屋という旅館で新選組に襲われた傷がもとで、 二十四歳の若さで亡くなりました。  息子を亡くした母親は、 「稔麿は私にやさしくしてくれました。『母様が下駄の緒をしっかり結んで下さったから、 大変歩きやすくて、長旅にも少しも疲れませんでした。』と、手紙に書いてありました。」と 語っていたそうです。

●参考資料『幕末・明治萩城下見聞録』林茂香

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