■三の丸入り口■ 堀内マップ(1)
萩循環まぁーるバス〈西回り〉《萩城外堀入口》を降りると、南北700メートル、幅30メートル の長細い空き地が目に付きます。
ここは、平成七年ごろまでには、家が建ち並んでいたのですが、 萩城外堀の復元工事とともに、一軒一軒立ち退いていきました。
この跡地の北側半分 (地図でいえば
北
片河
町 ) は、平成十六年十一月に、約350メートル長さの新しい道路と公園が誕生します。
また、南へ向けての約350メートルの間も、外堀の復元工事が進んでいますが、 こちらの完成は、二、三年後になりそうです。
外堀から、西の萩城天守閣跡まで約900メートルを堀内と呼んでいますが、 江戸時代は、外堀から堀内に入ると、萩城の三の丸でした。
江戸時代の初め、城下町が築かれた時の外堀は、幅が36メートル、深さが4メートルくらいありましたが、 のちに、堀のそばに 町家ができて、
徐々に狭くなっていきました。 その時にできた町名が 北片河町と、
南片河町です。
江戸時代には、三の丸に入るためには、三箇所の入り口がありました。 その内、外堀にある総門は「北の総門」と「中の総門」がありりました。
また、平成十六年十一月には「北の総門」が復元されます。
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