■浜崎の町並み■
寺町・浜崎マップ
江戸時代には士農工商という、武士、農民、町人、職人などの身分制度がありました。 そして、服装、髪型、言葉づかいなど、細かく決められていました。
人々が住む建物も、その職業によって大きく違っていました。 職人の家には、作業場が必要です。そして、町人の家には、 商品をならべる場所が必要です。
浜崎の町を歩くと町人の家の特徴がよく分かります。 町人の家には、「見せる」工夫が、あちこちに見られます。 また、町人の家が並ぶ町並みは、
「侍屋敷
」に対して 「町屋」と呼ばれています。
町人の家は、道に面した家の幅をみると狭くなっていますが、敷地全体を見ると、 正面の幅とは想像ができないくらいに、奥行きが長くなっています。
「うなぎの寝床」と表現されたりします。
本来、正面が広けれは売り場の広い店が出せます。 しかし江戸時代には、正面の幅に合わせて、税金もたくさん納めなくてはなりませんでした。
このため、正面全面を店にして幅を狭くし、生活する部分は奥に引っ込んだ形の建物ができました。
それほど苦労して出す店ですから、まず、なるべく店の中がよく見えるようにします。 しかし、開けっぱなしにすると、夜の戸締まりに困ります。
日中は正面全体を開けて、夜には正面全体を閉める工夫がなされました。 これが、回りを土塀で囲まれた 侍屋敷
だと、夜には門だけを閉めるだけ済みます。 侍屋敷
とは、家のつくりかたが大きく違う所です。
また、天気の良い日もあれば、雨の日、風の日もあります。日差しの強い、暑い日もあります。 そんなとき、上半分だけとか下半分だけとかが開けられると便利です。
そこで使われたのが、 「蔀戸」と
「大戸」です。
これらを使いますと、全部開けたいと思う時には、店の前面の柱まで取ってしまう事ができます。 戸や柱の無くなった店はたいへん広くなり、中がよく見えるようになり、風通しも良くなります。
「蔀戸」は、今のシャッターのようなものです。何枚かの部品に分けられているので、 開け閉めも簡単で、一部だけ閉めたりすることもできます。
「大戸」は、夜などに戸を閉めた時、出入りするための通用口がついた戸ですが、 これもつり上げたり、柱ごと取り外したりすることができます。
浜崎には、このような蔀戸や大戸のある家が、少し前までたくさん並んでいたという事です。 古い商店が多かったことがわかります。
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